模索中

人生模索中

母が永眠しました

12月22日、母が亡くなりました。74歳でした。 同月27日に葬儀を終え気持ち的には大分落ち着いてきたところです。

母はここ3年ほどパーキンソン症状や精神病に苦しめられ入退院を繰り返していました。 特に今年は家で過ごせる時間はほとんどありませんでした。 2月〜5月 精神疾患で入院→退院 5月〜6月 施設入所→骨折 6月〜11月 入院→感染症に罹るも退院 11月〜12月 リハビリ入院→感染症悪化で急逝

長く苦しめられた病気は命には別状のない病気でした。 しかし体の自由は奪われるので、今後は特別養護老人ホームなどの施設入所しかないだろうな、老人ホームにするならかなり倍率が高いらしいし早く申し込まなきゃいけないな、などと今後のこと考えている矢先に感染症悪化が原因に依る敗血症性ショックで亡くなりました。

どんどん弱っていく母を見て、もう以前から母の死を覚悟していたつもりだったのに、全然できていなかったようです。 1週間くらいは母のことが頭から離れず1人になるとすぐ涙が出てくるような状態でした。 悲しいという気持ちはだいぶ落ち着いてきましたが残念で悔しいという気持ちが未だ渦巻いています。

母の入院中、毎週見舞いに行くのが結構手間でした。正直嫌でした。 週の2日の休みの中、半日は費やすことになるし病院という病んでいる気が集まるところなのでこちらの精神力が削られます。 時間的にも気持ち的にもなかなかな負担です。

母自身も入院生活は苦しそうでした。 よくしてくださった看護師さんもいましたが、腸煮え繰り返るほどの怒りを覚える医者や看護師が沢山いました。悔しくてなりません。 本当に母は医者に恵まれなかった。 それほど治る見込みのない病気だったともいえますが、それでも穏やかに過ごせるよう配慮するのが医者や看護師の勤めではないのか。幾度と無くそう思ったし今でも思い返すと彼等への憎しみが増していきます。

そんな苦しい環境や身体への痛みに耐えよく頑張っていたと思います。 ようやく苦しみから開放されたであろうことが救いです。

それでも色んな人に支えられなんとかやってました。 私の彼女や友人、母の知人などが一緒にいてくれる時なんかは私自身も助かっていて、今思うとそれなりにいい時間が過ごせていたんだなと思います。 なんだかんだ言って母の笑顔や感謝の言葉をもらえるのは嬉しかったです。

どうせ、なにかしてあげられる時間は少ないんだから、もっと顔見せるだけでもしてあげればよかったと、今になって気付きました。

これからゆっくり親孝行していこうと思っていたのにできなくなったことが悔しいです。 たぶんどれだけ多くの親孝行をしてあげても同じことを考えると思うのですが、どうしても悔しい。 しかし、こればかりはどうしようもないことです。

私がしっかり前を向いて一生懸命生きることが、一番の親孝行になるのだと信じ日々頑張っていきたいと思います。